日本が30年失われてきたかと問われると、戦後特需からのバブル経済の成功体験をたまたま引き当てただけなのではないかと感じる。
バブル経済には再現性がないような気がするし、今を生きる僕にとっては、年寄りの成功体験語りは、そう思うほどどうでもいいことなのだ。
なぜなら、若者は、現代がそんなに幸せな日本になっていないと体感しているし、にも関わらず、先輩たちは恩着せがましくいる上に、愚かな人ほど評価を強要してくるからである。
そういう人を見てきたからこそ、綺麗そうなストーリーだけのエセマーケティングや見えすいたPR狙いの施策などに対して、現代の人の動きはどんどん鈍くなっているのではないかと感じる。
しかも、現代に対して当事者性の高い若者を「Z世代」などと括って、まるで理解できない宇宙人を語るような語り口で言及していくのは、あまりに失礼なのではないかと感じる。
大人にできることは、当事者性に共感を示して伴走し、つまづく部分でサポートすることではないのか。
では、自分に何ができるかと考えると、僕は「他人の生活や時間を豊かにすること」が重要なのではないかと感じている。
ただし、嘘が混ざってでも興奮を覚えるような大きな金額でチャレンジすることよりは、小さくてもとにかく行動して実態を生み出し、生まれた利益を半径500m圏内の関係人口で分け合うことにとても共感を覚える。
僕はお金や生活にも困ったことがあるので、大きくと途方もない遠いゴールへの道筋を歩むための大義名分よりは、小さな一歩を歩む癒着のある仲間たちにお金や生活に実利を与えたいのだと最近強く感じる。