僕がなんで最近「地方、地方、地域」とうるさいかというと、そこに希望を見出しているからである。
なぜなら、絶望的なまでに詰んでいるような気がする日本の成長の種が、地方にある気がするのだ。
なぜなら、東京にはない各種リソース(土地、実態ある技術、ノウハウ、若者の追い詰められたような熱量)が地方にはあるのだ。
東京には華があるが、華では飯が食えないこともあるし、嘘も多い。
実態と本質に愛を向けた方が、自分の半径500mの人を幸せにできそうではないか。(僕はこの半径500mの人を「関係人口」と最近呼んでいる。地方っぽいよね)
本質とは?
本質が何かと考えると、社会に対する善良な道徳心であると言える。なぜ「道徳」なのかというと、本質的なことは、得てして儲からないからである。
儲からないことをやるには、すでに儲かってる人でないといけない。儲かっている人たちがいきなり良いことを言い出して良いことっぽいことをやりたがるのはここが理由なのだろうと思う。
僕も例に漏れず、道徳心を持って良いことっぽいことをやりたい。関係人口を幸せにできたら、実に気持ちのいいお酒が飲めそうではないか。
僕の道徳心は独善的なのである。